レイクのサイトです。
船津  未来  温泉郷  水温  努力  記録  こんな  記録  醸造  いただき  引き  穏やか  止めよ  赤目四十八滝  生涯  つまり  コンシューマー  作法  財務局  ゆっくりと 

講演とは?/ レイク

[ 520] 講師紹介なら講演依頼.com 講師派遣や講演会講師に関するご相談にも対応
[引用サイト]  http://www.kouenirai.com/

あらゆるジャンルの講師の中から講演会主旨・講演テーマに合致する講師情報を提供します。 また経験豊富な講師陣と多数の講演支援から得たノウハウを有する講演支援スタッフが、この度主催される講演会を成功へと導きます。
都合により掲載できない講師もおりますので、サイトに名前がない場合でもお気軽にお問合せください。
※他にも多数の登録をいただいておりますので、他の講師をお探しになられたい際は、上部の「講師検索」をご利用ください。
※都合により当サイトに掲載できない講師もおりますので、当サイトに名前がない場合でもお気軽にお問合せください。
主な講演テーマ:「生き方−自分が変れば世界は変る」講師紹介:高校時代からレスリングを始め、全日本ジュニアオリンピックでチャンピオンとなり、世界グレコローマンレスリング大会に出場。高校卒業後渡米し、サンタモニカ大学でアートを学ぶ。その後帰国し、逆輸入ファイターとしてデビューし、UFC-J王者になり、現役中に俳優、執筆、書道など幅広く活動している。2006年12月31日、突然の引退を発表。現在は作家としての活動をメインとし、著書の売上も好調。
主な講演テーマ:「家族愛」、「家族の絆」 講師紹介:元フジテレビアナウンサーで1993年にガンで亡くなった逸見政孝さんの夫人。ガンを中心にした末期医療のありかたや、現代医療に関する講演活動を行う。NPO法人「がん患者団体支援機構」監事。講演活動においては「家族愛」を主とし、夫・政孝さんのエピソード、闘病秘話、息子・娘との絆、また自らの体験談を含めたガン治療のあり方等について臨場感あふれるお話をお届けします。
講師紹介:全日本女子プロレスの新人募集に応募し、数百人の中から選ばれる。自分との戦いに打ち勝つため練習は常に人より先に始め、人より多くのメニューをこなし、人より後に練習を終えた。そうした努力により培われた、頑強でありながらバネのある肉体と、持ち前の運動神経の良さと、格闘技センスの良さが相まって、タイトルを総ナメにし女子プロレス界に偉大なる金字塔を打ち立てる。
主な講演テーマ:「キラキラと輝く人生」 講師紹介:新宿で印刷会社の御曹司として生まれ、「自分探し」のため70年代前半にヨーロッパ放浪の旅に出る。その後、故三橋達也氏の付き人を経て勝アカデミー第一期生(小堺一機ら)となり故岸田森氏に師事。
主な講演テーマ: 「幸せの始まりはお掃除から」 講師紹介:1979年「11PM」で芸能界デビュー。現在、テレビ、執筆、講演会活動を主に活躍している。芸能界一のお掃除名人として知られ、2001年には長男を連れて俳優の船越英一郎氏と再婚。アトピー性皮膚炎にかかった息子との4年間の闘病生活を機に、健康問題についての講演活動も積極的に行っている。講演では、笑いあり涙ありの人生談を基本に持ち前の明るいパワーを存分に注入してくれる。
主な講演テーマ:「人生の教科書」講師紹介:1992年のバルセロナ五輪では、大会直前の大ケガを背負いながらも金メダルを獲得、日本中の感動を呼んだ。引退後は、指導者として全日本女子柔道チーム強化コーチを務めるかたわら、2003年4月からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を開塾。また、全国各地で講演を積極的に行い、目標を持つ素晴らしさとそれを達成する心のあり方を明快に伝えている。
アテネ五輪で、立花美哉さんと、シンクロナイズドスイミング競技で銀メダルを獲得。2001年の世界選手権では金メダルを獲得するなど、日本人メダリストの中では飛びぬけた数の5つのメダルを持ち、見事な演技力で常に世界を魅了してきた彼女。家族の支え、目標・夢に対する絶え間ない努力、講演では、私達が忘れかけている情熱を再び呼び起こし、心強い味方となってくれること、間違いなしです。
主な講演テーマ:「日米野球を通じて学んだこと」講師紹介:主にセットアッパーとして近鉄、中日で活躍した後、渡米し米独立リーグでプレー。帰国後はオリックスに移籍し、2003年に現役引退。現在は、野球解説者としての顔のほか、講演や執筆など多方面で活動中。講演では、生き残り競争の激しい日米野球界での様々な経験をもとに、リーダーシップや基本の大切さを講話。プロの世界の浮き沈みを体験してきたその言葉は一人ひとりの胸に深く響いてきます。
1967年から20年以上にわたり放送された「なにしてあそぼう」「できるかな」で、一言もしゃべらずに鮮やかに工作を生み出すキャラクターノッポさんとして出演。 現在舞台・講演会・執筆・俳優・脚本・作詞とマルチな活躍をしている。最近では、永年封印してきたテレビへの出演復帰で最近の子どもたちからも、"ノッポさーん"と声をかをかけられ、親子でのファンも急増中。05年4月より白梅大学客員教授。
上智大学国際学部を経て、カナダトロント大学を卒業。85年 北京チャリティーコンサートの後、食料不足で緊急事態にあったエチオピアを取材。その後、芸能活動のみでなく、ボランティア活動、文化活動にも積極的に参加する。89年 米国スタンフォード大学に留学、教育学博士号を取得。現在は歌手活動ばかりでなく、エッセイスト、大学教授、日本ユニセフ協会大使として、芸能活動以外でも幅広く活躍。
講師紹介:正道会館空手最高師範で現役K-1選手。関西外国語大学外国語学部英米語学科卒。英語科教員免許所持。現在は、K-1競技統括やレフェリーを務めているほか、タレント・俳優としても活動。また、歌唱力にも定評がありサッカーや野球などの開幕式で国歌斉唱するなど、マルチに活躍する。大学、地方自治体などを中心に講演では、自身の体験談を交えながら熱いメッセージを伝えていく。
ドラマから司会、CM、講演、ラジオ、エッセイ執筆の他、着物のデザインを手掛けるなど幅広く活躍中。そのほか、骨髄バンクやあしなが育英会などのボランティア活動を続け、休日を利用して講演会やシンポジウム、病院のお見舞い、募金活動等で全国各地を訪れている。また、戦争で傷ついた子どもたちを引き取り、治療・リハビリの後、母国に帰す活動を行うドイツのNPO「国際平和村」を支援ている。
学習院初等科から高等科、上智大学卒業後、英国2年留学。俳優/映画監督 奥田瑛二と結婚、現在二人の娘の母。優しく知性溢れる声で、介護・子育て・教育・環境など豊富なテーマについて講話。特に、脳腫瘍を患った実母を8年間自宅で介護。さまざまな衝突や葛藤がありながらも、家族全員で介護に取り組み、母の最期を看取ったエピソードは、聴いている側に感動と希望を与えている。
高校卒業後、故六代目笑福亭松鶴に入門。講演テーマに沿った、新作・古典落語を挟むスタイルで、普通の講演とは違い、笑いながらも充実感を得る講演。人権については、「差別が不幸を生む」というストーリーの古典落語をふまえて講演。そのほか、男女共同参画、教育、環境、悪徳商法など、時流に沿った話題と落語を交えて意識を啓発させるのが得意。どのテーマでも毎回好評を博している。
フォークデュオ「あのねのね」で一世を風靡。芸能界きってのアウトドア派、スローライフ実践者としても知られ、子ども達の生きる力を育むための自然体験イベント等を積極的に実施。2005年には、アウトドアパーク「森の劇場」を河口湖に開園。自ら、その運営に関わっている。講演会では、世界を旅しながらの子育て・教育をした話で、「子育てとはこうあるべき」という、新しい視点に気づかせてくれる。
デビュー曲「バラが咲いた」が大ヒット。ギターだけでなく、バンジョー、マンドリン、チェロなど8種類以上の楽器を演奏。趣味の釣りでは、海・川を問わず最近の大物は2キロの「ヒラメ」。また、特技のスキーに関してはインストラクターの資格をもっているほど。自然を愛し、あらゆる分野においてポジティブに活動をしている。デビュー40周年を迎えた現在、俳優・歌手としてメディアで活躍中。
「朝まで生テレビ!」や「サンデープロジェクト」などの討論番組で政治家や評論家、アナリストたちから、本音を引き出す名司会者としておなじみ。あらゆる時事問題を対象にマスメディアの最前線で精力的な活動を展開し、日々、テレビジャーナリズムの新境地を開拓。講演では、状況を分析するだけではなく本質問題に触れていき、
日本専売公社、日本経済研究センター、経済企画庁総合計画局、(株)三和総合研究所(現UFJ総合研究所)主席研究員等を経て、現在は獨協大学教授。専門分野はマクロ経済学、計量経済学、労働経済、教育計画。難しい『経済』を斬るその語り口は解りやすく、明快である。2005年3月からは、ニッポン放送「森永卓郎と垣花正の 朝はニッポン・一番ノリ!」のパーソナリティーとしても活躍中。
スポーツ紙や流通紙の記者を経て、フリーのスポーツジャーナリストとして独立。世界各国でオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシング世界戦など、数多くを取材する。その中からリーダーの資質と役割を見出し、独自のリーダーシップ論を展開する。スポーツ界だけにとどまらず、現代日本の問題点を鋭く指摘する的を射た講話は、毎回、聴講者から高い評価を得ている。
講師紹介:大学卒業後、旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。1997年、第一勧銀総会屋事件に遭遇し、広報部次長として混乱収拾に尽力。その後のコンプライアンス体制に大きな役割を果たす。この事件を元にした映画「金融腐蝕列島」のモデルとなる。2003年に退行。作家としては『非情銀行』でデビューし、以後、数々の経済小説を発表するほかメディアでも活躍している。
講師紹介:これまで600社のコンサルティング経験を持ち、日本企業の風土にあったワーク・ライフバランス施策導入の提案が好評を得ている。資生堂に勤務時代の入社2年目に、出産を経ても働き続けられる社会を実現するために、インターネットを利用した育児休業者の職場復帰支援サービス新規事業を立ち上げ、2004年日経ウーマン・オブ・ザ・イヤーを受賞。内閣府男女共同参画会議の委員も務める。
外資系教育会社に勤務時代、プレゼンしたお客様の95%から契約をいただく圧倒的な営業力で日本でトップ、世界142社中2位の成績を収める。現在は多業種での営業組織作りに携わり、書籍もビジネス書においては異例ベストセラーとなっている。人間力と営業テクニックを平行して向上させることで劇的な効果をあげるセミナーや、コミュニケーションに主眼を置いた「人に好かれる話し方セミナー」も人気。
大学卒業後、外資系コンサルティング会社で7年勤めるも「自分にしかできないことをやってみよう」と退職。その後、ロサンゼルスのビジネスショーで偶然聞いたセミナーに感動。帰国後、自ら著者と交渉し、翻訳権をとるも出版社に断られ続け、21社目で出版にこぎつける。2000年7月独立。現在は「もののみかた」「モチベーション」を切り口とした講演やセミナー、本の翻訳および執筆活動に日夜奮闘中。
日本語学の権威である祖父・金田一京助氏、父・春彦氏に続く、日本語研究の第一人者。インドネシア、ミャンマー、ベトナムなどでも日本語教師の指導を行う。わかりやすく、かつ楽しく日本語を語る姿はメディアでもおなじみ。ハーバード大学客員研究員を経て、現在は杏林大学外国語学部教授を務める。
あらゆるジャンルの講師の中から、講演主旨・講演テーマに合致する講演会講師情報を提供します。また経験豊富な講師陣と多数の講演支援から得たノウハウを有する講演支援スタッフが、この度主催される講演会を成功へと導きます。

 

[ 521] 荒木飛呂彦先生講演会レポート
[引用サイト]  http://homepage3.nifty.com/tomi_tomi/araki.htm

事前の申し込みで大量の聴衆が見込まれ、1700人分の整理券が配布される。それ以上の人数に関しては各教室でテレビ中継。朝8時30分からの配布開始時点で、1000人を超える人数が校舎内の廊下に長蛇の列を作っていた。さらに、当初の予定では12時30分講演開始だったのが、前の講座との入れ替えに時間が掛かるため、12時45分からに変更。会場には数名の私服警備員が配置された。
(壇上右手から荒木先生登場。黒のジャケットと穴開きジーンズ。遠目に見ても、シワひとつない驚異的な若さ。)
こんにちは。荒木飛呂彦です。東京から来ました。ハハ。ちょっと、かなり緊張しています。朝起きたら1人でずっと仕事してますんで、1日に会う人間って言ったらアシスタント5人ぐらいなんで、一生分の人間に会ったみたいで(笑)。かなりヤバイです。芸能人じゃないんで、笑いをとったりだとかネタを期待しないでください。あと、だらだらいきますんで。
今年でマンガ家生活25年になる。「昔読んでいました」と言われるのが若いころはいやだった。昔の人だと思われているようだから。しかし今はありがたいと感謝している。先生やテレビ局のディレクター、医者など35歳ぐらいの立派な人からよく言われる。若いころは自分や出版社のために描いていた。今は若い人に恩返ししたい。今回高校からの誘いがあったが、集英社の隅に置かれていた。編集者は「こんなのあるけど、名古屋だし、遠いし、行かなくていいっすよ」みたいな感じで見せてきた。しかしありがたいと思って引き受けた。30人ぐらいの教室でやると思ってOKした。来てみてびっくり(笑)。
される質問No.1は、昔からマンガが好きだったのか?何歳からマンガを描いていたのか?と言うこと。それについて30歳ぐらいから分かってきたことは、自分の家族関係が影響していると言うこと。断っておくと、家族とは仲はいい。父親は専売公社のサラリーマン、母親は専業主婦。普通の少年だった。妹は一卵性双生児。妹2人の不思議な連帯感、心のつながりがあった。兄が入っていけない、疎外感。
エピソード。おやつを母親が3つ用意する。妹が1個ずつ食べて、「どうする?」「ちょっと食べてみようか」「だまってりゃわかんねえよ」。帰宅して冷蔵庫を見ると「何だねえのか」。しかし育ち盛りだから、古いかまぼこの切れ端などを食べていた。嘘はいつかバレる。母「食べなかったの?」→「あのやろー!」→妹とケンカに。ちょうだいと言えばあげるのに、陰謀が嫌。しかも毎日。チャンネル争いも多数決で取られる。
1970年代、マンガのルネッサンス。手塚治虫、巨人の星など。マンガは1人で読める。自分で書いてみよう。図鑑や、絵が好きだった父の画集を見て描くのが楽しい。家に帰るのが楽しみになる。動機は救われるから。「なければ、グレて妹を殺していたかも(笑)。結構深刻なんですよ。」。ゴーギャンがタヒチに絵を描きに行った話にひきつけられた。
中高と進学校。友人に見せる。ファン1号のような友達がほめてくれる。その気になって、マンガ家になろうと思う。親には内証。勉強するふりをして、本をよけて描いていた。そんな高校生活。手塚賞など、高1から投稿。落選→何でか分からない。当時は新幹線が無く、特急でも東京まで4時間。しかし編集部に欠点を聞かなければならない!と思う。小遣いをためて、受験と重なるような時期に東京へ。そこそこの成績なら大学までエスカレーターで行けたが、どうしてもやらなきゃいけない、マンガ家になるしかないと思う。親に認めさせるには、デビューするしかない。当時同じ17歳で『キン肉マン』のゆでたまごがデビューし、それに焦る。さらに年下の桂正和がデビューし、連載。他にも北条司、こせきこうじ、次原隆二なども同世代。一方で親からの圧力もある。
31ページの作品を前日まで徹夜して書いて、東京へ。朝出発して、昼に到着。最初小学館のサンデーに持ち込もうとしたが、でかさにビビる。となりの集英社は6階建てで、「小さい方に先に出そう」。受付のお姉さんに「予約ありますか?」→そんなのいるんですか?昼の12時で誰もいないが、1人大学を出たばかりのヒマな編集が。6階に行ってくださいと言われる。
当時の編集部は怖かった。ドラゴンボールの「トリシマさん」(←鳥山明のことか、編集の鳥嶋さんか?)が原稿を袋からチラっと出した瞬間、表紙を見ただけで「見たくないんだよねー」と言われて書き直し。殺気立っていた。
編集が「持ってきたの?」と言い読み始めると、「ホワイトしてないじゃねーか」。徹夜明けも相まってクラクラしてきた。ページをめくるたびに「きったねーなー」。なんだか眠くなってきた(笑)。その人は身長180センチぐらいで怖い。読み終わると「ちょっと面白かったかな」。こことここ書き直してこいと言われ、5日後が手塚賞の締め切り。ほめられたから徹夜して書き直し。手塚先生、ちばてつや先生に読んでもらえるかもと言われる。それが『武装ポーカー』。31ページの作品を60−80ページ書き直した。親に「載ったんですけどー。デビューさせていただきます」。こうしてマンガ家に。しかしあくまで載っただけ、編集はこれから育てようとしている。
ここで質問。何になりたいと思ってる?マンガ家になりたい人。(何人か手を挙げる)。医者になりたいとか、ジャニーズになりたいとか。じゃあ今日はマンガ家になりたくない人向けのマンガの描き方について話します。
電車でマンガを読んでいる人がいて、10メートルぐらい離れていても何を読んでいるかわかることがある。『ワンピース』読んでるな、とか両さん読んでるな、とか。自分の頃は『リングにかけろ』や、鳥山明の『アラレちゃん』とか、遠目で見ても分かる。そう言うのが大事だなと思った。1981年からそう言うことを考え始めた。どうやったら誰でも分かる個性を描けるか。
(ここでプロジェクターの上にスケッチブックを取り出し、ペンを持つ。会場どよめき。しかし何も描かずに手を止める)これを雪の絵ですとか言って美術の先生に持っていったら怒られる。だけどマンガだとこれで原爆の光です、とかある。これで原稿料を貰っている。個人名を出すと怒られるかな(笑)。真っ黒に塗って地獄、とか。『デスノート』の最終回みたいに(会場拍手)。人の原稿料は知らないですけど(笑)。
(資料を映す)バーネット・ニューマンという人の絵。オレンジに塗っただけ。現代絵画では認められている。(さらに黒の長方形を2つ並べた絵、そしてアグネス・マーチンの鉛筆で線を引いただけの絵)。
マンガも簡単な方に行こうとする。(ペンで点を書く)これは誰でもかける。(その点から線を延ばして、●ッキー●ウスのような輪郭を描く)こう言うのを公の場で描くと怒られる(笑)。著作権で。
(次々と資料を出す。スマイルマーク、一瞬ミッキーマウス、会場笑い。さらにモリゾーとキッコロを出して)鳥山先生のデザインかと思ったら違ったんですけど(笑)。誰が見ても分かります。(ピカソの絵を出して)ピカソだと分かる。
死んだ人からまねるのはパクリじゃないと思っているんで。今仕事している人から影響を受けるのはパクリだと思うけど。先ほども言ったが、ゴーギャンが好き。奥行きがあるのに色をエリアで囲んで描く。地面がピンク、青だったりする。私はあまりアニメになっていないけど、アニメになったときスタッフから「承太郎何色ですか」と聞かれる。しかしそう言う概念が無くて、(資料を出す)ジョルノをピンクで塗ったりブルーにしたりする。計算して塗る。パワーが発揮されるように。それを80年代に研究して取り組んだ。西洋美術の陰影法や、彫刻を見ながらポーズを描く。こう言うやり方で個性を作っていく。劇画ではあまりやらないけど、そうやって勉強していく。それがジョジョ。
右の方にあるとアニメになりやすい。自分がどこにいるのか。それが分からないと、編集に「何描いたらいいんですか」と聞くようなマンガ家がいる。『リンかけ』、『キャプテン翼』はすごい。絵を単純化し、ストーリーも単純化。マンガ史に残る傑作。『バガボンド』、『ろくでなしブルース』は正統派。『ハチクロ』、『ワンピース』は内面を描いているがデザインが凄い。
古典的な方法でリアリティを追求するのがジョジョ。もともと謎に興味があった。無人島とか。キングコング、ネッシーは「マジでいると思っている」。サスペンス。なぜゴーギャンはタヒチに行ったのか?など。
超能力、エネルギーそのものを描きたい。「波紋という波で行こうか」と言うのが第1期。2部も終わりに近づき、編集から「新しい必殺技がいるよ」と言われる(会場笑い)。守護霊が後ろから出てくるのはどうですか→編集「えー、分かんねえよ」(例の180センチの担当)。そばにたつからスタンド、スタンドバイミーみたいに。当時のジャンプはハードで、インターバルなし。第2部が終わったら次の週から第3部だった。承太郎がスタンドで戦おうと決める。
当時ピラミッド方式(トーナメント)が流行っていた。それってバブル経済と同じで、最後どうなるのか疑問だった。ロープレ、双六みたいにその場で戦っていこう。→旅行でいこう。世相から超能力を取り入れ、スタンドに。そうやってジョジョが生まれた。これが自分の描き方。サスペンス、古典的手法。スタンドはファンタジーだけどリアリティを追求。心の中のパワーを表現するのがテーマ。
(準備で先生は一旦舞台裏へ。壇上中央にイスを4つ並べる。荒木先生再登場。先生は右から2番目のイスでで足を組んだり戻したり)
マンガ、映画。コレクションは全然しない。立体も作らない。小説など、空想の世界にいたい。ものごとをやりとげるにはダビンチから始まる先輩を尊敬すること。そう言う人たちの情報を読み取るのが重要。発明したものを学んでいく。
梶原一騎『あしたのジョー』『巨人の星』『空手バカ一代』など。スポ根だけど、来週どうなるのかと思わせる。一番凄かったのは、『愛と誠』。主人公がスケバンにナイフで刺されて、合併号で次週が休み。「早く本屋開かないかなあ」と思った。
子供の頃の仙台は古い町だった。80年代から新しくなり、知らない人が住み始めた。それが不気味で、その体験が杜王町になっている。自分の町は好きで、逆の愛。ただ実名を出すと怒られそうだから(笑)杜王町に。
そうかもしれない。子供はよく田舎に預けられた。祖父はものを作るのがうまかった。防空壕に探検に連れて行ってもらって、ミステリーのようで楽しかった。
「えーっ」(会場笑い)。モデルはいない。スタローン、シュワルツェネッガーなど80年代に筋肉の映画がはやった影響。1部描くと、やっていない部分が出てくる。「まじめすぎたなー」→2部では明るい奴を出そう。イーストウッドはアクション俳優なのに「走るな」と言われたらしい。そのアドバイスが凄いなと思ったので、承太郎はあまり動かない。監獄にいるけど、スタンドは速い。
時間を支配できる奴がいたら無敵だろうな、どうやって主人公は勝つだろう、と思う。重力とか物理的なものを支配できるのは強い。それを表現できるのがスタンド。
3部で終わるはずだったが、4部を描かなきゃいけない(会場笑い)。未来過ぎるとだめ。近未来がいい。しかしそれだと主人公がいない。年齢が合わない。→愛人しかないかな(会場笑い)。
自分は誰から生まれたんだろうと考える。父、祖父より上の代は分からないが、不思議な気分、誇り高い気分になる。愛人から生まれても血筋はあるのだから、それを大切にしよう。子供のころの思い出、生い立ちをストーリーに入れよう。ディオはどんな育ち方をしたのか、とか。
「えーっ」。なかったらヤバイ、すごい重要。ここに来たのも中学生に熱い気持ちを伝えようと言う思いから。
単なる趣味。ロックを聞くと母親が普遍性がないからだめだと言う。しかし、ロックもクラシックのように残るかもしれない。応援する意味もあってオマージュで出している。しかし最近バンドの名前がなくなってきてヤバイ。
ロックからの影響。リズムなど。最近ではソールドアウトと言うバンドがジョジョの影響を受けていてうれしい。
絵と顔が一致しないが、がんばってほしい。自分は秋本先生に「がんばって」と言われたり、車田先生に「最後のコマが泣けたよ」と言われて励みになった。自分もちゃんと読んで批評したい。
まずその後どうなったのかが気になった。しかしファンレターで誰々を出して欲しいと言われるが、話は完結しているので続きは描きたくない。『バオー来訪者』も続きそうな終わりかたをしているが、続きそうな感じで終わっているのがいい。作者としては描ききったと言う感じ。
「実在?」(会場笑い)。マンガ家全般。絵はこうやって見るんだと教えてくれた学校の美術の先生。編集者はゴルフのキャディーのようなもの。もうすこし右を狙った方がいいですよ、とか。編集者と仲良くしなくてはいけない。

 

戻る

レイクのサイトです。

レイクのサイトです。