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映像とは?/ レイク

[ 330] ★究極映像研究所★
[引用サイト]  http://bp.cocolog-nifty.com/bp/

板野サーカスの自身による手法解説等、ファン必見な特集だった。 広角レンズの効果とか、ミサイルの噴煙を流体として、風によって流す手法を実例で説明している。そして『マクロス』から『マクロスプラス』、ウルトラマンのCGへの進化。
近未来のドイツ市街。その街では突如、死体が蘇り「異形の姿」となって人を襲う謎の事件が勃発していた。そんな中、生態のまま悪魔の姿へ自由自在に変化する者達が来訪する。 これ、CGで描かれているとのこと。 CGの特質を活かし、2D手描きではありえないこのキャラクターのディテイルの凝り方がいい。
公式HPのオープニングでは、板野サーカスな貯めの効いたミサイルも登場。スピーディでしかもCGにより細部が緻密な動画が楽しみ。 でも残念ながら4月末からスタートするこの番組、中部地方では放映がない。なんとかこっちでもやってほしいものです。
この手で来たかって感じ。 しかし想像の範囲は出ていないので、面白かったけれど、いまひとつの感は否めない。
★★★★★以下、ネタばれ注意★★★★★ 結局想像の範囲を出ないというのは、ニューヨークを舞台にしたがゆえに、どうしてもアメリカ版『ゴジラ』を思い出してしまうからだと思う。 映画の展開が大筋でそれをなぞっているように見えてしまい、せっかくホームビデオで撮っている臨場感を出す手法の意外性が、割り引かれてしまっている。残念。
製作者たちは意図的にたぶん『ゴジラ』をなぞったのだろう。 ここまでハンディムービーで撮ったドキュメントの体裁をとると、エンタテインメントどっぷりのハリウッド映画の観客に受け入れられるかどうか一抹の不安が残るはずで、そこを『ゴジラ』をなぞることでわかりやすくしてカバーしたのだと思う。
でも怪獣映画を好きな我々日本の観客には、そんな配慮不要で、物語展開自体もどんどん意外性を持たせてほしかった。
登場する破壊者はそれなりに面白い。怪獣というよりは、生物的に巨人風のテイストがあって、生々しく気持ち悪い。 こんな巨人どこかで観たことがある。そうエヴァンゲリオンの拘束具の中身。 で、海外のサイトではこんなクリップが作られている。
映像的には、ハイビジョンハンディカムで撮ったと思しき全編の映像が、適度に素人的に作られていて、臨場感はなかなか。特に前半で破壊者が現れてからのシークエンスは、あまり味わったことのない臨場感を体感できて、ゾクゾクする。
これ、たぶん東京が舞台で日本人が主役だったら、もっとリアリティが出てただろう。 アメリカで特にニューヨークで暮らしている人が観たら、僕らよりかドキドキしてしまうのだろう。
ハイビジョンハンディカムが出た時に、これを使うことで誰でもが映画館にかけられるような画質のいい自主映画を撮ることができる時代になったと思ったのだけけど、この映画は本来ハリウッド大作としてではなく、アマチュアフィルムメーカーがいきなり出世作として、世に出すべき映画だったのかもしれない。
日本製の動漫(アニメ・漫画)が中国で大流行。その影響力は中国青少年の生き方を変え、中国政府もあわてて自国動漫産業を確立しようとやっきになっている
係論としても、サブカルチャー論としても、比較文化論としても、これまでにない論点を提示し、かつ、膨大な取材に基づき驚くべき事実を掘り起こした中国ノ
あの中国に日本動漫を対象とした動漫研があり、周囲がそれを評価している。そこには、冒頭に述べた私の違和感を解くカギ、中国の若者の実態を解明する手がかりがありそうだと、実感させられた。 【最終回】
私の力不足で、日本のアニメ産業の実態にまで踏み込むことができず、アニメ産業を支えておられるアニメータの方たちが、どれほど苦労をなさっておられるか
に関して現状分析をすることができなかったことを、最後にお詫びいたします。 著者は、1941年 戦中に中国で生まれ動乱の時代に子供時代を中国でおくった理学博士。自身が中国人留学生との会話で興味を持った中国での日本のアニメと漫画の文化的浸透について、潜入取材を試みているらしい。
04年7月、52歳で急逝。原作映画もヒット、没して猶存在感が増す中島らも氏の未発表2作を含む、小説集。幻想、愛、恐怖、笑い、毒…。不世出の異才の多面的な作風と魅力の全てがこの本にある! ユリイカ 特集『中島らも*バッド・チューニングの作家』を見るまで、実は情けないことに、この短編集は知らなかった。最近、リアル書店へ行くことが減っていることの弊害だ(^^;)。
ホラーの三本もいい。セオドア・ローザックの傑作『フリッカー、あるいは映画の魔』を思わせる「コルトナの亡霊」、民話的怪異譚「水妖はん」、「山紫館の怪」。「コルトナの亡霊」は以前取り上げた幻の映画、『シエラ・デ・コブレの幽霊』を想い出させたり。
中島らもと岐阜の関係は全く知らないけれど、本書の舞台は二編が岐阜。 一編が中津川フォークジャンボリーを舞台にした「結婚しようよ」。 で、もう一編は可児の具体的な地名(広見と明智)まで出てくる「狂言「地籍神」」。
それにしても最後に苦言。この松尾たいこの装丁はなんとかならなかったか。最近SFの短編集他も松尾たいこの表紙が増殖しているが、独自のあの絵の世界自体はいいのだけれど、とにかく本の雰囲気とのミスマッチが多い。
特にこの中島らもとのカップリングのミスマッチは大きい。僕の感覚だと、きっと中島らもが生きていたらこの表紙にはしなかっただろう。「DECO―CHIN」を果たして松尾たいこは読んだ上でこの絵を描いたのだろうか。
先日、近所の花木の販売センターで見つけて写真を撮ってきました。かなり奇妙な外観。 サボテンの仲間のようだけれど、まるで石ですね。昔SFでは珪素生物というのがよくイラストにされていたけれど、これは石に擬態した地球生物。
お好み焼き 慈恩弘国 慈恩弘国営業日報 (ミのつく職人さんの日記経由)わたしの名前はランバラル。数知れぬ死線をくぐりぬけてきた、元ジオン公国の軍人だ。
アニメーション研究家の原口正宏さんによる全3回の公開講座。 『白蛇伝』〜『龍の子太郎』まで、東映長編漫画映画の回顧上映。 イベントも面白そう(すでに高畑勲監督の回は終わっているけれど)。
しばらくハイビジョンビデオカメラの情報を追っかけていなかったのだけれど、週末の家電店の広告を見てフルハイビジョンでSDメモリ記録式のこの機種が凄く安かったので吃驚して調べてみた。
気味が悪いほど生き物に近い四脚ロボット『BigDog(日本語版記事)』が、さらに進化した姿を見せてくれた。今回の動画では、積もった雪や丘の斜面を歩いたり、氷の上で滑っても自力でバランスを取り戻したりしている。
(略)装備運搬用のロボットろばを兵士に与えるという米軍の当初の目標(日本語版記事)に近づきつつあるということだ。(略)
制御は進化しているけれど外観と動きは相変わらず気持ち悪い。この気持ち悪さはまさに「不気味の谷」の中にいるのでしょう。
こんなロバと旅をするドンキホーテのロボットをどっかで作らないでしょうか。でもまずロバに頭を付けてあげて下さい。
ろやぎ」はもともと、齋藤氏らが行なっていた神経インターフェイスにおける全身義体の1つとして想定されたものだそうだ。(略)神経イ
ンターフェイスの研究自体は継続しており、たくさんの細胞に多くの電極を刺すことを狙った、自己組織化材料を使った大規模集積型神経電極の開発や、高効率
で多くの細胞の細胞膜に微小な穴を開け、細胞に遺伝子等を導入する研究を行っている。 まさに『攻殻機動隊』なロボティックス技術。 それにしてもウェブでもネズミのインターフェース写真は出ていないけれど、動物虐待として訴えられそうな実験。
完全義体は無理にしても、早くパソコンとのマン-マシンインタフェースくらいは実現してほしい。電車の中でメガネ型HMDを見ながら、Blogのテキストを手を動かさないで書きたいものです。更新も進むのに(^^;)。
宮崎駿監督の直筆レイアウトを中心に、高畑勲・宮崎駿両監督がスタジオジブリ以前に手掛けた作品も加え、一挙に約1000点ものレイアウトを日本で初めて公開する。 shamonさんのコメントで教えてもらったこの展示会、レイアウト図1000点の展示というのは凄い。
凄いの意味は二つ。ひとつはその量。これだけのレイアウトの実物を一度に観られるのは凄い。 もうひとつはアニメの、ある意味ただの設計図であるレイアウトを美術館で展覧会にしてしまうということの凄さ。
前者は宮崎駿のレイアウトと原画のあの鉛筆タッチが好きなファンとしては大変嬉しい(観に行けないけど、、、、)。宮崎の原画の躍動感は、フィルムで観るのももちろんだけれど、その原画の鉛筆のタッチがコマ割りと別の動きの情報を持っており、これを生で観られるのは貴重な機会だろう。
にしても後者。美術館としてアニメータの原画の芸術的な価値として、その鉛筆のタッチに踏み込んで評価しようというスタンスなら非常に評価できると思うが、東京都現代美術館の今回のアプローチがどこまで踏み込んでいくのか期待したいところ。
今のところ、東京都現代美術館のHPにこの展覧会の告知はないので、よくわからないが、展示会のパンフレットでそこの分析が克明に分析記載されていたとしたら、画期的なことではないだろうか。時期から言って、『崖の上のポニョ』のヒットへすり寄った客寄せのためだけの企画だとしたら美術館としてあまりに寂しい。
アニメータというアーティストの正当な評価へ向けた美術界からの貴重なアプローチになっていることを期待したい。
「映像」とは、単に動画だけを指すのではなく、光と影で構成され、人間の心に浮かぶイマジネーションを形にしたものである。この「映像」への探究が、各時代にさまざまな視覚的装置やスペクタクルを生みだし、すぐれた映像表現やテクノロジーによる現在の視覚文化の興隆を創りだしてきた。
第15話「ルパンを捕まえてヨーロッパへ行こう」・アニメーター磯光雄と金田伊功と脳の構造の関係・アニメータ磯光雄 と 監督作『電脳コイル』・日本のアニメーターの賃金
これは美しい!フランスのラ・ヴィレット公園にある映画館。 こんな劇場で映画を観れるとは、パリの人々は幸福ですね。
観劇記は上記記事を参考にしていただくとして、シュヴァンクマイエル担当パートの魔術的雰囲気が素晴らしい。
最近、ヤン・シュヴァンクマイエルの情報がないので、ひさびさにラテルナマギカ劇場のHPを覗いたら、アップデートされて予告編映像が見られるようになってました。 しかし、残念ながらヤン・シュヴァンクマイエルパートは観られません。この独特の舞台の雰囲気だけですが、お楽しみください。
そしてオーグメンテドリアリティが実用段階に入ると、コンピュータは計算素子として自然現象を用いるようになる。「物理現象の再現に膨大な計算量を必要と
を想定した講演であるために、ビジネスモデルやサービスの形態など「今日明日の、地に足のついた話題」ではなかったが、おそらく、今後数年のうちに、現実
問題として業界が取り組むべき時期がやってくることだろう。 鈴木氏はIPAの未踏ソフトウェア創造事業の天才プログラマー/スーパークリエータということなので(テーマは「伝播貨幣」のデモンストレーションソフトウェアの実装)、今後の『電脳コイル』AR世界実現のための事業プランが語られるのでは、と期待していたのだけれど、このレポートを見る限りは、『電脳コイル』と現状のARの紹介中心の講演だったようだ。
問題として業界が取り組む」活動は、水面下で着々と動いているのだろうか??? でないと本当に海外に先を越されそう。
日、電脳コイルの監督の磯光雄さんと会った。思いのほか脱線して、作画しているときの精神状態、波の動き、身体性、心の理論、ミラーニューロンなどの話な
どをして、盛り上がった。なにより、磯爆発や波の動きを説明し、表現するときの指の動きがすばらしく、戦慄してしまった。 この内容が知りたい!そして手の動きを映像で観てみたい。・「電脳コイル」の「タネ」技術 駒沢大 山口浩氏のリンク集
メフィストに掲載された四編と書き下ろしの一編を加えた諸星大二郎の初第二短編集。 雑誌掲載時に読んでみたかったのだけれど、今回まとめて読んで逆によかったかな、という印象。マンガの諸星作品を彷彿とさせるが、小説ならではの力強いイメージ喚起力に溢れていて秀逸な幻想小説集になっている。
漫画から想像していたのとは違って、意外と端正な文体でつづられている。彼の漫画から想像していた泥臭さとか不可思議さとは少し違ったすっきりとした文体。 しかし登場人物の感性と描かれる舞台はあくまでも諸星大二郎の世界。そして小説であるからこその内面描写で、よりリアルに立ちあがってくる部分がある。
あと本の装丁が素晴らしい。真黒な背景に、諸星のカラーの蜘蛛と蝶の絵。本のページの端面もすべて黒。(挿絵ももちろん諸星。)
「船を待つ」 いつくるかわからない船を待つ奇妙な人々。 倉庫での寝泊まりのシーンは、黒澤明の『どん底』のドロドロの世界を思い出させる。 食堂のオモちゃんとの会話で主人公も読者も一息つくのだけれど、このオモちゃんというキャラクターも黒澤っぽい。 漫画の絵にしない方がイマジネーションをかきたてる世界で、諸星が小説にしたのがよくわかる。「いないはずの彼女」、「同窓会の夜」 この2編は一人称の漫画では表現しにくい叙述もの。 後者は、読者にはフェイントをかけたりして仕掛けが楽しめる。 先日、実は卒業後三十ん年ぶりの同窓会へ行ってきたので、この「同窓会の夜」は、妙に各シーンがリアルに感じられた(^^;)。小説にしかできない世界。「蜘蛛の糸は必ず切れる」 芥川龍之介「蜘蛛の糸」の諸星版リメイク。地獄のリアルな描写が素晴らしくもおぞましい。ここは諸星のあの絵で見せてほしかったかも。 クライマックスの主人公 陀多の体がバラバラになり、蜘蛛の糸を掴んだ手だけが意志を持って登っていくシーンは秀逸である。
伏線の破戒僧の使い方とか、舌を巻くうまさ。釈迦の残酷性の描写が余韻をひく。これと「船を待つ」がお薦め。
フィリップ ショート, 山形浩生訳『ポル・ポト―ある悪夢の歴史』(amazon) 極度の秘密主義を貫いた彼の生涯は、これまで闇に包まれていた。しかし本書は、その軌跡を追いながら、クメール・ルージュ組織、粛清、権力奪取、大量虐殺、失墜、死までを、綿密な取材とインタビュー、膨大な資料を駆使して克明に描き出した、「決定版」といえる大著だ。 最後はヘビーな一冊。内容もだけれど、本も893ページという厚さで重い。図書館で借りて、まずは恒例(?)山形氏の訳者あとがきに目を通す。 著書のフィリップ・ショートは、クメール・ルージュのやったことをナチ等の「大量虐殺」とは随分違う種類のものだったという視点で書いているようだ。 いずれにしても、その現場で何がおきていたか、それを詳細に描き出している本書は興味深い。(でも800ページ、読めるかなー。電車じゃ重いし、、、)
現実はフィクションほど筋が通ってはいない。物語のように理想的なハッピーエンドを迎えることはほとんどない。ハッピーエンドを書けば「甘い」「そんなことあるわけない」「現実離れしている」と批判する人もいる。だが「そんなことあるわけない」のは、作者だって百も承知である。
これはフィクションにすぎない。ひとかけらの事実も含まれてはいない。だが、フィクションだからこそ素晴らしいものもあるはずだ。 いろいろな切り口で読める、噂に違わぬ傑作だった。 まず主題として、フィクションが持つ価値についての物語。「機械とヒトの千夜一夜物語」とあるように、ロボットが語る複数の物語から焙り出されるフィクションの意味、これがまず素晴らしい。SF読み、かつ現実というよりは頭はいつもフィクションに浸っているような我々(僕だけ?)にとって、凄く共感できる。
次に機械知性による地球の未来の描写。 宇宙探査について描かれたこうしたヴィジョンはどこかのSFでたぶん読んだことがあると思うけれど、 最終話で語られるのはかなり迫真のヴィジョンである。未来にこんな光景が本当に現れるかもしれないという幻視力。ここは素晴らしいなー。
このクライマックスの描写から、今現在、地球へ別の星から人工知能体が来ていないとすると、もしかして知的生命は地球にしか登場しなかったのではないかと思える。こんな想像をさせてしまうのもこのストーリーのプロットがコンセプトとして非常に優れているからだと思う。
世の中で最近よくなされるこの問い。 シンプルに答えられるはずなのに、何で迷ったり複雑怪奇な言説が出てきてしまうのか、不思議に思っていたのだけれど、山本弘はズバリと回答を書いている。そしてその答えをシンプルにロボットの知性の骨格に据えて、人間にはなしえない世界を描いている。
本書冒頭で山本氏の娘さんへの言葉が掲げられている。 この部分は、自身の子供と現代の子供たちへ向けた氏のメッセージだと思う。
ゲド・シールドという言葉で人の持つ業を説明している。それによる人の限界と機械知性の可能性。SFらしいアプローチで丁寧に倫理を描いている。今の時代、なかなか貴重なことだと思う。(うちの子供たちにも読ませたいけど、読まないんだよなー、これが(^^;)。)
と書きつつ、実はここで描かれた、人の限界と機械知性の対比には、実は僕はかなりリアリティとして疑問を持った。(冒頭で書いたようにフィクションとしては全然OKなのだけれど、、、)。
というのは、ロボットが意識を持つ過程を書いていないことに起因する。僕にとってはこの本のひとつ残念な点である。
乱暴にまとめると、本書の機械知性は鉄腕アトムと同じ。つまり意識の生まれる過程ではなく、本書の人工知能はすでに意識らしきものをはじめから持っていて、描かれているのはそこに自我が生成していく過程のみ。
実は意識とゲド・シールドというのは原理的に非常に密接な関係があるんじゃないかと思う。極論すると、ゲド・シールドこそが意識そのものって感じがするので、果たして本書で描かれた意識を持った機械知性が本当にゲド・シールドからこれほどフリーでいられるのか、甚だ疑問だなー、と思いつつ読んでいた。
と、最後暴走して全く自分のあやふやな観点で批評してしまったけれど、連作短編としてこれだけ力のある作品はなかなかないと思う。非常に丹念に人工知能のありようを地に足のついた描写で書いていて、フィクションの魅力にあふれた一冊。お薦めです。
今回も素晴らしい背景映像には、とにかくため息。 桜の季節感とか夏の黄昏時の光の再現。映像だけで懐かしさを感じさせるこの空気感の表現力が素晴らしいと思う。
映像だけでこれだけ力があるのだから、あえて登場人物の日記とかメールを用いて心象描写をナレーションにする必要はないのではないか。
その甘ったるい言葉の数々がかぶさることで、まるで洗練された美味しそうなケーキに、ドパドバと砂糖をかけて食べるような残念な映画になっている。と感じるのは僕が単に草臥れた中年だからだろうか、、、(^^;;)。(でもいっしょにDVDを観ていたうちの娘たちもそのナレーションにはひいていた)
今回特に桜のシーンと、第二話冒頭の別の惑星のような凄い情景に息を飲んだので、あえてこんな感想を書いてみました。
近未来社会の枠組みとインフラを構想する対談「『スノウ・クラッシュ』から『電脳コイル』へ」 とうりすがりさんのコメントより鈴木 健氏:
もともとは,(略)「Second Life」のような仮想世界における社会制度の可能性を議論すべく始めたんですけど,微妙に行き詰まりを感じたときに「電脳コイル」がやってきて,「これだ!!」みたいな感じになったのです。オーギュメンテッド・リアリティ(拡張現実,強調現実)には可能性があるので,盛り上げていこうかと。今年の3月から5月の間に,何度か研究会を行う予定です。
す。 長い抜粋ですみませんが、これはなかなか刺激的なアプローチ。ITビジネスのコンセプトとして、セカンドライフ以降を考える切り口としての『電脳コイル』。
これ、本来なら電脳コイル世界の発明者である磯光雄監督を交えて議論してほしい。 そして産官学で実際に、電脳コイルプロジェクトを立ち上げたらいいのに(^^;)。
磯監督はコンピュータにも強いみたいなので、このアイディアを核に、アメリカのベンチャーキャピタルに金を出させてIT起業すれば面白い。(でも我々としては彼のアニメ作品が観られなくなるのは辛い(^^;;) ITのコンセプトとしては、はっきりいってセカンドライフより産業規模を期待させる。やり方によっては、GoogleやYahooよりも実世界への影響力があるIT技術になるのかもしれない。
許を書こうとする技術者がいるとして、既にアニメであれだけのアイディアが提示され公知となっているので、今から新しいクレームを権利化するのは結構、難しいだろ
う。もともとヴァーチャルリアリティやARという技術のネタがあった上での「電脳コイル」コンセプトではあるが、アニメの企画が現実を推進するとしたら、なかなか痛快だ。
そして現実化していくとしたら、NAVIとかに使う真面目な取り組みだけでなく、是非街に巨大ロボットもしくは怪獣を登場させて、パワードスーツ的なものをインタフェースとして戦うとか、そういうのも期待。もちろんこのサブプロジェクト名は「黒客クラブ」(^^;)
去年1年の仮想世界研究の話題といえば、セカンドライフではじまり、電脳コイルで終わったといっていいだろう。そこで、この流れを総括し、いくつかのエントリーをシリーズで書いていこうと思う。

 

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