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少しとは?/ レイク

[ 595] 愛・蔵太のすこししらべて書く日記
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/

日付が実際に日記書いた日より先行しているのは、毎日書く日記が書けなくなったときの貯金みたいなものです。
【北京=野口東秀】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は29日、インド・ニューデリーで記者会見し、チベット自治区の騒乱について、「中国軍の兵士数百人が僧侶姿に変装していたと聞いている」と述べた。インドのPTI通信(電子版)が伝えた。
AP通信などによると、ダライ・ラマは北京五輪支持の立場をあらためて述べる一方、中国に対し、「開催国として人権、宗教の自由を尊重すべきだ」と要求した。
一方、中国国営新華社通信は同日、騒乱をめぐり北京五輪開会式へのボイコット問題が浮上していることについて、「五輪が政治の人質になっている」と批判、「五輪に名を借りた政治的恐喝は受け入れられない」と強調した。さらに、「ボイコットは、中国をダライ(・ラマ14世)一派に妥協させる圧力とはならない」と指摘した。
【北京5日共同】中国中央テレビは5日、中国軍兵士がチベット仏教の僧侶に変装、暴動に加わっていた可能性があるとの指摘が出ていた問題で、証拠とされた武装警察官が僧侶の衣服を抱えている写真は、2001年9月に映画「レジェンド 三蔵法師の秘宝」の撮影時に写されたものであることが分かったと報じた。
写真では緑色の制服を着た多数の武装警察官が小脇に僧侶の衣装を抱えているが、中央テレビは警官の証言や、写真に写っている3輪タクシーが04年までの旧式タイプであることなどから、今回の暴動とはまったく無関係であることが最終的に確認されたとしている。
アジアを代表するアクション女優ミシェル・ヨーが、主演だけでなく、初のプロデュース業にも挑んだアドベンチャー・ロマン。伝説の高僧・三蔵法師が遺したといわれる秘宝を悪の手から守るため、シルクロードを舞台に壮大な冒険を繰り広げるヒロインの活躍を描く。監督は「グリーン・デスティニー」でアカデミー撮影賞を受賞したピーター・パウ。
この一連の教科書問題を通じて、「集団自決」という言葉そのものに問題があると指摘され、それに代わって“日本軍に強制された「集団死」”という言葉を使うことが提起されるようになった。「集団自決」という言葉は、戦争中から使われていた言葉ではなく、先に紹介した『鉄の暴風』で使用されて以来、使われるようになった。「集団自決」という言葉を使わないように提起している人たちは、「自決」という言葉には住民が自ら進んで命を絶ったという意味が込められており実態とは違っている、巻き添えになった人たちもいるし、特に子どもはみずから決断したわけではない、またこの言葉を使うことによって国や右派から、国のために自ら犠牲になったという殉国美談に解釈される余地を与えたという批判がなされている。
ここで宮城初枝が「自決」という言葉を使わずに「玉砕」という言葉を使っていることに注目していただきたい。実は、この場面では「自決」という言葉は使われていないはずなのである。というのは、前にも書いたように、「自決」とか「集団自決」という言葉は、『鉄の暴風』の筆者・太田良博が沖縄戦史として「集団自決事件」を書く時に、初めて一種の「造語」として使った言葉なので、この場面で「自決」という言葉が飛びかはずがないのである。ともあれ、どれが真実でどれが大嘘かを、僕はここで判定するつもりはないが、冷静に読み比べていけば、誰と誰が大嘘をついているかは自然に分かってくるだろう。
ここで、「集団自決」という言葉について説明しておきたい。『鉄の暴風』の取材当時、渡嘉敷島の人たちはこの言葉を知らなかった。彼らがその言葉を口にするのを聞いたことがなかった。それもそのはず「集団自決」という言葉は私が考えてつけたものである。島の人たちは、当時、「玉砕」「玉砕命令」「玉砕場」などと言っていた。「集団自決」という言葉が定着化した今となって、まずいことをしたと私は思っている。この言葉が、あの事件の解釈をあやまらしているのかも知れないと思うようになったからである。
「集団自決」の「自決」という言葉は、〈自分で勝手に死んだんだ〉という印象をあたえる。そこで、〈住民が自決するのを赤松大尉が命令する筋合いでもない〉という理屈も出てくる。「集団自決」は、一種の「心中」または「無理心中」である。しかし「心中」は、習俗として、沖縄の社会では、なじまないものである。まれではあるが、自殺はある。サイパンで、沖縄の女たちが断崖から飛びこむ記録フィルムを見たことがあるが、あれは「心中」ではない。
ある人は「自決しろと命令された」と証言し、ある人は「自決するなと言われた」と証言しているわけです。文藝評論家=の政治ブログ『毒蛇山荘日記』などを参考にすると、山崎行太郎さんは「自決するなと言われた」という証言に懐疑的なのですが、どちらも本当は何と言われたのか(命令されたのか)について懐疑的であってもいいのかもしれません。
そこで梅澤隊長がさらに出した命令は、「俺の言うことが聞けないのか! よく聞けよ。われわれは国土を守り、国民の生命財産を守るための軍隊であって、住民を自決させるためにここに来たのではない。あなた方に頼まれても自決させるような命令は持っていない。あなた方は、畏れおおくも天皇陛下の赤子である。何で命を粗末にするのか。いずれ戦争は終わる。村を復興させるのはあなた方だ。夜が明ければ、敵の艦砲射撃が激しくなり、民間人の犠牲者が出る。早く村民を解散させなさい。今のうちに食糧のある者は食糧を持って山の方へ避難させなさい」というものでした。 村の三役たちは30分ぐらいも粘っていましたが、仕方なく帰っていきました。
2・そのとき、兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手榴弾を2箱持ってこさせた。兵器軍曹は集まった20数名の者に手榴弾を二個ずつ配り、「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら一発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの一発で自決せよ」と訓示をした。
渡嘉敷島で「集団自決」を経験した金城重明氏(78)が被告岩波側の証人として出廷。兵器軍曹から住民に手榴弾が配られ、「一個は敵に投げ、もう一個で死になさい」と訓示があったと、後になって当時の兵事主任からじかに聞いたと証言。
人の記憶が、証言としてどれだけ役に立つかは不明ですが、後日の出来事によって過去の記憶がゆがめられてしまう、という例は、命令あった派・なかった派のどちらにも言えることなので、歪曲・捏造・創作・勘違い、あるいは左右どちらかの派によって誘導されたのかも、とか思ったり。普通60年以上も前のことを、そんなに覚えているわけないし。
なんかこれ、「従軍慰安婦という言葉は戦前にはなかった→(従軍)慰安婦はいなかった」的トンデモにちょっと似ている。まぁこの件に関しては右も左も、どっちもどっち、という感じです。
自決という言葉でいろいろ見てみたんだけど、戦前は「民族自決」的なものしかうまく見当たらない。
53歳の男が親友の妻と恋に落ちた時、彼らの地獄は始まった…。詩神と酒神に愛された男・田村隆一。感受性の強いその妻・明子。そして、明子と恋に落ちる北村太郎。荒地派の詩人たちの軌跡を描く力作長篇小説。
ということで、小説中では「明子」さんなんですが、実名は「○子」さん? とりあえず伏せておきますが、実際こんな人物いたのか、という小説っぽいキャラ(カルチャーセンターで知り合い、北村太郎と恋仲になる若い看護婦)もいることはいるとはいえ、「荒地」派の詩人は田村隆一も含めて鮎川信夫とか中桐(雅夫)とかどんどん出て来て、ほとんど実話と思って読むとクラクラします。東京府立第三商業学校時代からの友人である田村隆一の3度目か4度目の妻を取り合い、2度目の妻と別居する北村太郎(最初の妻と子供は海水浴で溺死)。明子さんは鬱で自殺を図るし、田村隆一はアル中で入院するし、最後のほうでは北村太郎は不治の病にかかるし、詩人の仲間はどんどん死んでいくし、という、人生晩年の波乱万丈。いくら人生晩年でも普通の人はここまで波乱万丈にはなりません。物語の骨子は男女の物語(不倫というか真実の愛?)で、タイトルに偽りなしなんですが、読後の感想は「荒地(人生)の後始末」という感じでした。死に至る病を告知されて退院するときに、車の中で主人公が聞く松田聖子の「Strawberry Time」があまりにも痛々しいので、思わずYouTubeで曲を探して聴いてみたよ。そしたらこちらまで胃が痛くなった。
全体にとても楽しいとはいえない話を、やはり人生晩年と言ってもいいだろうねじめ正一が文学的・詩的に物語にしているので、そうだなぁ、あまり若い人にはお勧めできないし、晩年の人にもお勧めしにくい。でも文学。暗い話だけれど、物語の基本はそんなに暗くない。小林信彦に少し似ている、と思ったのは、翻訳小説まわりのエピソードが少し入っていたりするせいか。ちなみに北村太郎はジョナサン・ケラーマンとかトレヴェニアン(『夢果つる街』)とか訳した人。と言っても知らないか。ミュージカル『キャッツ』の原作(T.S.エリオット『ふしぎ猫マキャヴィティ』)の翻訳者でもあるけど、本はもう品切れっぽい。別の翻訳者による『キャッツ―ポッサムおじさんの猫とつき合う法』(ちくま文庫)のほうが入手は容易か。
ミステリー的なオチとしては、話の中にはほとんど出て来なかった北村太郎の双子の弟が葬儀場に現われ、登場人物の一人が驚愕する、というのがありますが、これはまぁバラしても特に問題はないオチだと思う。
このガマには、たまたまハワイ移民帰りの二人の男性がおり、この人たちがいたことでチビチリガマと全く正反対の結果をもたらすことになった。英語が話せたため、ガマが米軍に包囲されたとき、彼らがガマを出ていき米軍司令官に「中には民間人しかいない」と交渉、また住民に対しても米軍は捕虜に対してひどいことはしないと説得した結果であった。そのガマでどのような交渉があったかは知ることはできないが、米軍上陸一日目に1000人全員が生還したという事実だけは残っている。
→沖縄の人は「降伏勧告状」を持たせたアメリカ軍のことを何も言わないんだろうか - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記
第32条:交戦者の一方が他方との交渉を行うため、白旗を掲げて来た者を軍使と規定する。軍使、及び、それに随従する喇叭手、鼓手、旗手、通訳は不可侵権を有す。
第33条:軍使を差し向けられた部隊長は必ずしもこれを受ける義務は無い。また、軍使が自軍情報を探知する為にその不可侵権の使用を防ぐ一切の手段を取れる。不可侵権を濫用された場合は、軍使を一時抑留することも許される。
第34条:軍使が背信を教唆し、自らがそれを行いうる特権ある地位を利用した事が明白であるときは、不可侵権を失う。
例によってあまり法律にはくわしくないのですが、「民間人」は非戦闘員なので、「交戦者の一方」ではないですね。特定の要件を満たせばなりうるのかな。
で、やはり気になるのは「民間人、それも敵国の民間人を「軍使」として降伏・投降勧告にやらせた(行ってもらった)」という例が、沖縄戦以外にもあるのか、ということなんですが、軍事とか法律にくわしい人は、そういう例を他にはご存知でしょうか。何となく、ナチスドイツが崩壊した後のドイツ部隊に対して、そういうことがありそうななさそうな気もしますが、ぼくにはドイツ語はわからない。
「まだまだやるぞ!」と思っている軍人の人たちに戦う気をなくさせるのは難儀だと思うので、一番簡単そうなのは上官もしくはそれに類する者の「武装解除命令」みたいなものかなぁ、と素人判断をしておきます。ていうか、上官に当たるものが「やめた」と宣言するとか、「やめるように」と命令する以外に、現場で戦っている軍が武器を捨てるのは難しそうです。
まぁぼくも、アメリカ軍のほどほどにえらい人で、軍使を送っても殺されてしまう状況だったら(実際にそうなのかどうかは不明ですが)、どうしたらいいだろう、と悩んで、「相手の国の民間人なら殺さないだろう」という判断をするかもしれませんが。
八月十五日以降、停戦の交渉に出向いた日本の軍使が何度もソ連軍に殺されながら、八月二二日、ソ連軍はようやく停戦におうじ、日本側参謀長とソ連側アリモフ将軍との間で停戦協定が調印され、日本軍は全面降伏した。
また、赤松元隊長は降伏勧告の使者に来た伊江島出身の女性を斬首処刑し、同様に計6人を処刑し、うち少年2人は隊長自身が惨殺した。一方、米兵が降伏勧告に来たら素直に応じ、部下より先に降伏したと太田氏は憤慨する。
あと、上官より先に部下のほうが降伏してしまう軍隊組織も、組織としてはどうかと。普通の会社組織でも、あるプロジェクトに関して中止するのは、末端の人間ではなかなか難しいと思うのですが。
ということで、毎度ながら反・歴史修正主義者の人は大変でしょうが、「「民間人、それも敵国の民間人を「軍使」として降伏・投降勧告にやらせた(行ってもらった)」という例が、沖縄戦以外にもあるのか」というぼくの興味が満たされるような、できたら中身がイデオロギー臭くないテキストのトラックバックをお待ちしています。
昔少し調べて、ちょっとリンクの場所が明示できないんですが、民間人だけではなく、「軍人と民間人」が一緒になって、降伏に関係した、というテキストはあった記憶があるので、その記憶を補完するようなものも希望します。
第三二條交戰者ノ一方ノ命ヲ帯ヒ、他ノ一方ト交渉スル爲、白旗ヲ掲ケテ来ル者ハ、之ヲ軍使トス。軍使並之ニ随従スル喇叭手、鼓手、旗手及通訳ハ、不可侵權ヲ有ス。
13日、九龍半島の貯水池から香港島への給水が断たれた。同日、日本軍は軍参謀の多田督知中佐と道案内のイギリス婦人を降伏勧告の軍使として派遣した。ヤング総督は降伏勧告を一蹴したが、日本軍では、会話の中でのやりとりから、香港島の一角に上陸しさえすればこれを契機としてイギリス軍は降伏するのではないかという希望的観測が広まった。
こちらももう少し頑張ってみますが、「民間人を軍使にした国の例」は、ひょっとしたらけっこう見つかるかも。で、その軍使がどう扱われたかわかるかも。
逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか−−理性をゆるがす愛があり、罪にもそそぐ光があった。家族という枠組みの意味を探る、著者初めての長篇サスペンス。
不倫相手の子供(赤ん坊)を誘拐して3年半の間育てるという奇想な話。舞台の一部メインが小豆島で、ああ、『二十四の瞳』の映画を地図見ながら楽しんだ(胃を痛くしながら)ということもあって、懐かしく感じながらも、やはり胃が痛くなった。犯罪とかサスペンスとか謎(誘拐した子供に対して、逮捕される女性は最後に何と言ったのか、その他)もあって、どこをどう取ってもミステリー枠なんですが、多分ミステリー作家という認識はされていないので、たとえば歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』みたいな感じには読まれていないと思う。推定読者層は圧倒的に女性ですか。しかし不倫相手の子供を産むとか産まないとか、そういう設定って若い本好きの女性には基本パターンなのかとんと見当がつかない。何となく基本パターンのような気がする。子供の話は少し泣かせとしては卑怯っぽいのですが、ラストの小豆島行きフェリー乗り場でのシーンは、これはもう、ここで泣け、というフラグが立っているような感じ。前半が逃亡の話で、後半がその子供が大きくなってからの話という二部構成ではありますが、小豆島のお祭りとかのシーンでまだ半分残ってるわけで、いったいそれからどう話の展開をつけるのか、みたいに思ってしまったらこんな展開だったのかという。4歳ぐらいまでの子供というのは本当にかわいいので、懲役8年というのはちょっと、本当の母親の気持ちを考えると許せない気持ちになったり。
この本に関しては普通の女性の人の感想をちょっと聞いて回りたいところ。ネットで検索してみるといいのか。しかし角田光代も初体験というのは、読書を趣味としている人間(=ぼく)としてはどうかと思われてもしかたない。
やれ日本軍が鬼畜だとか、皇民教育が、とか、日本軍はいいこともたくさんしたとか、軍命令はあったとかなかったとか、割とぼくにはそんなのは比較的どうでもいいので、ぼくが今のところ戦争について学んだことは、戦争は嫌なものであるということ(できるならなるべくしたくない。ネットの擬似戦争なんて、本物の殺し合いと比べたら全然たいしたことない)と、知識の不足は死と憎悪を招く、ということなのでした。
南京事件(南京大虐殺)とかホロコーストは、そちら方面の言語の知識がないので言及は避けますが、たとえばこんな感じ。
1・バターン死の行進はひどいものだった。でも日本軍にとってはあれぐらい歩くの当たり前で、米軍にとってはあんなに歩かされるのは一生の恨みモノ。体調コンディション最悪のときに、黄色い猿みたいなのにどつかれながら歩くなんて、ぼくだったら5キロも歩かないうちにヘタっちゃうよ。でも、もう少しお互いがお互いのことをわかっていたら、まぁ○十年ぐらいは恨んでも、一生の恨みモノじゃなかったかもしれないね。
2・沖縄の集団自決は、米軍に対する無知と戦場パニック(ヒステリー)が引き起こした不幸な事件。一般住民が英語とか米軍とかにもう少し知識があったら自決しなかったかもしれない。でも砲弾・銃弾ばしばし飛んできているときにそんなこと考えるのは無理だろうとも思う。
ぼくが反・歴史修正主義の人と肌合わないなぁ、と思うのは、ていうかせっかくなので『歴史修正主義の克服』(山田朗・高文研)読んで思ったのは、たいていの反・歴史修正主義の人は、歴史修正主義がなかったら歴史に対して何も言ってなかっただろう、という存在感・立地基盤のいやはやさで、歴史を楽しもうとか、歴史で何かを学ぼうとか、そこらへんがあまり感じられないのですね。自分の陣地(左寄り)の立派さ・堅牢さを誇る、その誇りは対立陣地がなくても美しく存在できるのか、という。まぁ、これは山田朗氏の本を読んだだけの印象かもしれませんが、顔の真っ赤さぶりがちょっと思想童貞(ぼくのことではありませんが)を引かせる要因になってそうだ。
歴史の本がぼくにとって面白いのは、そして時々退屈なのは、情報・知識の乏しいものが敗者となる、という約束ごとの部分で、たとえば歴史じゃないけど物語としての三国志が諸葛孔明出てからあまり面白くなくなるのと同じようなものです。あと、どう考えてもそれは嘘だろうというようなことを書いているテキストを見つけるのも、少し面白いです。
第二次世界大戦前後のフランスで、反ファシズムの標的とされた一人の男がいた。「火の十字団」総裁、ラロック中佐。穏健な中道派志向でありながら、なぜファシズムの権化として集合的記憶に刻まれることになったのか?現代も活発に続くファシズム論争に、新たな視座を供する画期的な書。
栄華の都コンスタンティノープル、イコンに彩られた聖ソフィア教会…。興亡を繰り返すヨーロッパとアジアの境界、「文明の十字路」にあって、帝国はなぜ一千年以上も存続しえたのか。キリスト教と「偉大なローマ」の理念を守る一方、皇帝・貴族・知識人は変化にどう対応したか。ローマ皇帝の改宗から帝都陥落まで、「奇跡の一千年」を活写する。
例によって、面白い本しか紹介しないことにしている読書ノートではありますが、これは異常に面白かった。ルボルタージュ・ノンフィクションとしての文章力(文章技術とはかなり違う)がものすごくある人だ、というのが読書中・読後の印象。レスラーが自分の体を鍛えているのと同じレベルで、自分の文章を鍛えているとしか思えない。要するに、技術ではなく力が、そのテキストには見られるのですね。
1976年に猪木が闘った2つの「異種格闘技戦」(柔道のチャンピオン、ウィリエム・ルスカ、およびボクシングのモハメッド・アリ)、および2つのレスラーとのリアル・ファイト(韓国・パキスタン)。なんでここまで、ショーとしてのプロレスの「型」を崩してまで、退屈な、あるいは残酷な試合を展開しなければならなかったのか、猪木がその戦いにおいて、戦うことのできない相手、つまりジャイアント馬場の存在を意識せざるを得なかったその背景などについて分析し、かつ猪木をめぐるレスラーのスタイルを紹介しつつ、猪木は誰よりどのようにすごかったのか(あるいは、ダメだったのか)を語る。
猪木のキャラについで興味深かったのは、ウィリエム・ルスカ。2つの金メダルを持ち、オランダ柔道史上最強の柔道家でありながら、オリンピック後もクラブの用心棒としてくすぶっていたウィリエム・ルスカの半生と、レスラーとしてはショーマンシップに欠けるファイトのため見捨てられた後半生で、プロレス(格闘技)というのは、強いだけではダメで、頭もよくなければ観客を見入らせることが難しい、格闘娯楽だということがわかる。
それはともかく、アリの引退を早め、二人のレスラーだけでなく二つの国のプロレスを衰退に導いてしまった猪木の「業」の深さには、男泣きに泣ける。あと1990年代になってから、1960年代的なテレビ的格闘ショー(プロレス)とは違う、DVDというメディアを、格闘技の「リアル」がどうやって利用して(再構築して)きたか、たとえばファイト・マネーが放映権・入場料だけではなくビデオ収入も含めたものになることによって、より「リアル」の質が急激に(DVDでショーを見る人間が増えるにつれて)変わってきたわけですが、そこらへんももう少し分析が欲しかった。テレビ的娯楽としてのプロレスの優位性が、別の媒体によって崩壊した、というのは、ハタから見ていると絶対にありそうなわけで。
しかしこの著者、いったいどのくらいの修行をして、これだけ読める・読ませる文章を書けるようになったのだろうか。格闘家ではなく一介の文章書き(ノーギャラ)の身(=ぼく)としては、ものすごく気になるのだった。日本語表現力が各人それぞれの個性を保ちながら、それぞれにすごい、という日本語業界を、プロの格闘家と同じように考えてみたりしてみたい。毎日○千字、一日○時間はキーボードを叩く、みたいな感じで。とにかく、月に1冊はそんな文章を書く、今までぼくの知らなかった人に出会って驚くのです。

 

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